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想いを絆ぐ

法人設立20周年を迎えて

弁護士法人奔流は故池永満弁護士により2004年に設立されました。満弁護士は1977年に弁護士登録、北九州第一法律事務所で執務した後、1980年に修習同期の辻本育子先生とともに九州合同法律事務所を立ち上げました。九州合同法律事務所在籍中は、医療問題研究会(1980~)、建築環境問題研究会(1985~)、患者の権利法をつくる会(1991~)などの立ち上げに関わるとともに、千代町再開発訴訟、博多湾埋め立て反対運動、まちづくり条例制定運動といった地域的課題にも精力的に取り組みました。1997年から2年間の英国エセックス大学への留学を経て、帰国後はNPO法人患者の権利オンブズマン(1999~)を設立、中国人強制連行事件(2000~)にも取り組みました。

池永満弁護士は、2001年に九州合同法律事務所から独立し、法律事務所池永オフィスを開設しました。その名の通り当初はちょっとした別室気分で立ち上げたはずの池永オフィスでしたが、2004年に「法人成り」して誕生したのが弁護士法人奔流です。法人名の「奔流」は、初代代表社員弁護士となった満弁護士の恩師具島兼三郎先生(九州大学名誉教授、元長崎大学学長)のご著書名から拝借したもので、弁護士法人奔流の各オフィスには、満弁護士が終生座右の銘としていた「良心を枉げて易きにつく者は悔いを千載に遺す」との具島先生の書と「医療に心と人権を」との満弁護士の書が、今も仲良く飾られています。

弁護士法人奔流の設立後間もなく、NPO法人九州アドボカシーセンター(2004~馬奈木昭雄理事長)が設立されました。弁護士法人奔流でも、ロースクールから輩出される新人弁護士の受け皿となり、地域における法の支配と人権擁護の担い手を育成すべく、田川オフィス(2004~現在の「田川市役所前法律事務所」)、直方オフィス(2006~現在の「直方総合法律事務所」)、宗像オフィス(2008~)、飯塚オフィス(2010~2016)、朝倉オフィス(2010~)、粕屋オフィス(2019~)を開設し、この20年間で30名を超える法曹を受け入れてきました。

残念ながら満弁護士は、2009年の福岡県弁護士会会長の任期中に癌が発見され、闘病のなか「原発なくそう!九州玄海訴訟」の立ち上げ(2011年~)にかかわったのを最後に2012年12月1日に他界しましたが、遺された弁護士たちは、未熟ながらも医療事件や建築環境事件など様々な課題に取り組む機会に恵まれただけでなく、よみがえれ!有明訴訟、全国B型肝炎訴訟、原発労災梅田裁判、福島原発事故被害救済九州訴訟、HPVワクチン薬害訴訟、ハンセン病家族訴訟、旧優生保護法違憲訴訟、オスプレイ裁判などを通じて、まさに時代を象徴する傑出した諸先輩からご指導いただく機会にも恵まれました。

また、それぞれのオフィスは、地域の駆け込み寺として様々な地域的課題に取り組む機会に恵まれ、福岡・住環境を守る会の運動(2007~)、直方駅舎保存運動(2011~)、吉野ヶ里メガソーラー発電所の移転を求める佐賀県住民訴訟(2013~)、嘉麻市熊ケ畑産廃訴訟(2014~)、「きららの湯」をただでやるな!糸島市住民訴訟(2017~)、九州北部豪雨被災者支援(2017~)、粕屋町給食センター住民訴訟(2018~)、春日市東浦・西浦原状回復請求訴訟(2020~)などの取り組みを通じて、地域の中でも得難い繋がりを築くことができました。

今あらためて弁護士法人奔流の歴史を振り返り、公正な社会を目指して法人設立以前から脈々と受け継がれてきた様々な取り組みと、その取り組みの中で築かれた皆様との繋がりこそが、今日の弁護士法人奔流の礎となっていることを痛感します。そのことを、嬉しく、心強く、そして誇らしく思います。

私どもが、満弁護士亡き後も、理念を失わず、弁護士として大きく道を踏み外すことなくここまで歩んでこられたのは、皆様とともにあったからに他なりません。

法人設立20周年の節目を迎えるにあたり、13年ほどの間、私が預かってきた代表社員を3名の弁護士に託すことにしました。彼らが何を展望してこの先の10年を歩んでいくのかは未だ未知数ですが、皆様がこれからも弁護士法人奔流とともに歩んでくださることを心よりお願い申し上げます。

弁護士 池永 修
(2011年度~2023年度 代表社員)

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