相談申し込みはこちら

SERVICE

取扱い事件・解決事例

行政事件・社会的に意義のある活動

国や地方公共団体を相手方とする事件は、公務員の不法行為や公用物の瑕疵を理由とする国家賠償請求や、生活保護をめぐる不利益処分や事業者に対する許認可処分、開発行為や建築確認の取り消し、公共事業に伴う補償交渉や公共事業そのものの差し止め、住民訴訟等々、私たちの日常生活の中でも実に幅広く存在しますが、国や地方公共団体という強大な権力を相手とする事案の困難さから、その多くは弁護士からの助力すら得られないまま泣き寝入りを余儀なくされています。

しかし、市民や事業者に保障された当然の権利、利益が正当な理由なく制限、剥奪されることを当然のように甘受すべき道理はありません。当法人では、事案の大小を問わず、国や地方公共団体を相手方とする行政事件に積極的に取り組んでいます(市民、事業者側のみ)。

当事件に主として取り組んでいる弁護士

取扱内容の具体例

  • 国や地方公共団体に対する国家賠償請求訴訟
  • 都市施設やマンション等の建築物をめぐる対行政交渉
  • 土地改良、区画整理、道路計画、ダム計画などに伴う対行政交渉(補償交渉を含む)
  • 各種許認可、行政処分に対する不服申し立て、対行政訴訟
  • 地方公共団体の財産処分等に対する住民監査請求、住民訴訟

旧優生保護法違憲国家賠償請求福岡訴訟

皆さんは、優生保護法下での強制不妊手術をご存じでしょうか。人為的に優秀な子孫を産む方法で国家・民族を発展させるという思想である優生思想が、命に優劣をつけ選別をしてしまうような方向に進んだ結果、戦時中の1940年、遺伝性とみなされた障害者、病者に強制不妊手術を認める「国民優生法」が成立しました。

戦後の1948年、「優生保護法」への法改正後にも強制不妊手術の規定が引き継がれて、1996年、母体保護法への改正時に強制不妊手術の規定が削除されるまでの間、知的障害や遺伝性の疾患を有する方に不妊手術を強いることが認められていました。

本来、権利や自由を守るための法律が、差別を生み出して、助長し、遺伝性の障害を持つ方は劣等であるという不当な烙印を押し続けていたということです。

なお、この1996年は、ハンセン病患者への長きにわたる強制隔離政策を続ける根拠となった「らい予防法」がようやく廃止された年であり、その後の提訴、勝訴判決につながっています。

旧優生保護法違憲国家賠償請求訴訟は、この優生保護法下での強制不妊手術等の被害について、仙台、東京、兵庫など全国各地で提起されている裁判で、福岡でも、2019年12月24日に提起されました。

当法人から弁護士2名が弁護団に参加し、原告、支援者の方々と一緒に闘っています。

福岡訴訟では、不妊手術を強いられた聴覚障害のある男性と、妻の女性が原告となり、これまでに4回の裁判期日が開かれています(2021年7月現在)。裁判では、強制不妊手術の是非、優生思想による差別について追及しています。

優生保護法と同様に、国の法律によって、ハンセン病患者が強制的に隔離されていた政策が憲法に反すると断じた2001年5月の熊本地裁判決から20年が経過する今こそ、優生保護法の問題をはじめ、様々な被害、根付いた差別や偏見、障害者の方々を取り巻く生活環境について、社会全体、一人ひとりが知ってゆくことが問われているのではないでしょうか。

ぜひ、一人でも多くの方が、この裁判の意義を知っていただけますと幸いです。

福島原発事故被害救済九州訴訟(九州避難者訴訟)

この訴訟は、福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた原告らが、国と東京電力に対して損害賠償を求め、2014年9月9日に福岡地方裁判所に福岡地方裁判所に提起(第一次)し、2020年6月24日に第一審判決、その後控訴審にて審理が係属している訴訟です。また、2021年9月9日には、同様の訴訟を追加提訴(第二次)し、福岡地方裁判所で審理が係属しています。

2011年3月11日の東日本大震災に続いて発生した福島第一原発事故を受けて、福島から遠く離れたここ九州や沖縄にも、数多くの市民が避難しています。九州への避難者は、2011年12月の時点で、福岡県736名、佐賀県313名、長崎県181名、熊本県287名、大分県366名、宮崎県246名、鹿児島県266名であり、沖縄県にも863名が避難しています(平成23年12月21日付け東日本大震災復興対策本部事務局「全国の避難者等の数」)。

避難者の方々を原告とした訴訟は全国各地で提起されており、福島第一原発事故から11年あまりが経過した現在でもその広がりをみせています。

九州避難者訴訟では、避難元が福島県内か県外か、或いは、避難元の線量が高かったかどうか等によって原告資格を区別せず、いずれも原発事故によって等質的な被害を受けたものとしてすべての避難者の権利回復を目指しています。

また、九州避難者訴訟原告団及び弁護団は、原発被害者訴訟原告団全国連絡会の一員として、金銭的賠償だけにとどまらない被害救済も目標の一つに掲げ活動しています。 これらを実現するためには、福島第一原発事故の責任の所在を明らかにすることを避けて通ることはできません。

第1審判決では、国の責任を否定し、救済の範囲・程度も極めて不十分・限定的なものに留まりましたが、今後も原告団、弁護団は被告らに対し、すべての被害者に対するあるべき賠償を求め、また次世代に向け社会がどうあるべきかを問うべく闘っていきます。

活動については弁護団のホームページもご覧ください。
https://www.facebook.com/genpatsukyusai.kyushu/

また、同訴訟に提出した書面等は、本ホームページ上にも収載しています。

平成29年7月九州北部豪雨にかかる被災者支援

2017(平成29)年7月5日、九州北部豪雨が発生し、2019(平成31)年3月31日時点においても、朝倉市内に限っても、建設型応急仮設住宅には83世帯(172人)、借上げ型応急仮設住宅(いわゆるみなし仮設)には108世帯(253人)が生活をしています。

応急仮設住宅にお住まいの方々の多くは、元の自宅に戻りたくても復旧工事が進まないために戻れない、豪雨により生業を失い経済的な問題から民間の賃貸住宅に引っ越すことができないなどの理由により、応急仮設住宅を退去できない状況にあります。

他方で、福岡県は、これらの応急仮設住宅の入居者に対して、法律上、入居期限及び無償供与期限が2年であるとして、2019(令和元)年7月ないし9月までの間に退去するよう求めています。

そこで、2019(平成31)年4月11日、朝倉市内における被災者有志により、「九州北部豪雨朝倉被災者の会」が立ち上がりました。同会は、建設型応急仮設住宅、みなし仮設、その他の被災者を区別することなく、朝倉市民ひいては福岡県民一体となって九州北部豪雨からの真の復興・生活再建を目指す団体です。

同会の取り組みは、福岡県議会議員や朝倉市議会議員、NPO法人などからもご賛同いただき、現在進行形で、支援の輪が広がっています。

当法人は、朝倉市内に事務所をかまえておりますので、被災者皆様が真に生活再建を実現できるよう、「九州北部豪雨朝倉被災者の会」を支援しています。

「きららの湯」をただでやるな!糸島市住民訴訟

「きららの湯」は、旧二丈町(現在の糸島市)が健康福祉事業の一環として開始した温泉施設であり、旧二丈町が合併により糸島市に編入された後も糸島市によって運営されてきました。

しかし、2017年(平成29年)4月、糸島市は、市民への十分な説明を行わないまま、設立からわずか2年しか経っていないある民間企業に「きららの湯」の建物を無償譲渡、敷地を無償貸与しました。

この無償譲渡・無償貸与により、「きららの湯」を「無償で」譲渡・貸与したことで、糸島市民の価値ある財産が一民間企業のものとなってしまいました。また、旧二丈町のときから一貫して健康福祉の拠点の一つとされ、町民・市民から親しまれてきた「きららの湯」の存続が危ぶまれるおそれがでてきました。

弁護団では、このような市民を顧みない行政を正すべく、糸島市による無償譲渡・無償貸与の無効を求めて、多くの糸島市民の方々とともに住民訴訟を行っています。

【2023年2月追記】

「きららの湯」をただでやるな!糸島市住民訴訟は、2017年5月24日に「きららの湯」の無償譲渡が無効であるとして提訴しました。その後、2021年4月28日に地裁判決、2022年4月18日に高裁判決が言い渡されました。結論はいずれも住民側の請求を認めませんでした。

裁判の結果は住民の声を汲んだものにはなりませんでしたが、住民置き去りの糸島市政に大きな釘を刺すことができました。6年近くに及ぶ活動の中では、健康増進事業を軽視した姿勢、政策の検証を回避しようとする態度が明らかとなり、今後原告の方々にとどまらず多くの糸島市民が糸島市政を厳しい目で見るきっかけになったと思います。また、控訴審では、入湯料の値上げが契約違反であったと判断されました。私たち弁護団は、高裁判決を受けて、最高裁に上告及び上告受理申立をしました。結果的にはこれらも却下及び上告不受理となりましたが、契約違反という高裁の判断が変わったわけではありません。

また、最高裁から上告受理申立を不受理とする決定が届く数日前、きららの湯を運営する日食システムが、きららの湯の営業停止を発表しました。2022年11月11日から現在に至るまで営業は再開されていません。新聞記事によりますと、営業停止の理由は、新型コロナウィルスの感染拡大による利用者減及び燃油高騰にあるとされています。

しかし、新型コロナウィルスの感染拡大以前から利用者数は減少していました。糸島市は、高裁判決でも述べられていたように、2019年10月に、日食システムとの間における負担付贈与契約に違反してまで入湯料の100円値上げを認容しました。また、糸島市は同契約を潜脱するような形でのロッカー利用料10円の徴収を放置しました。それでも、営業停止に至ったとすれば、やはり民間移譲自体、特に移譲先の選定に問題があったのではないでしょうか。まさしく原告の方々の不安が的中してしまった形となりました。

2022年11月24日に糸島市と「きららの湯」の今後の行方を協議しましたが、糸島市担当者は「現在は日食システムを見守っている」という回答に終始しました。糸島市は、これまでの訴訟を教訓として市民に開かれた市政を行うことができるのかが問われていますが、未だその後どう対応しているのか聞こえてきません。裁判での活動は一区切りとなりましたが、きららの湯という糸島市民の財産を守るための活動が必要であることには変わりないものと思います。また、糸島市に対しては、日食システムへの譲渡のときと同じ轍を踏まないことを望むばかりです。(坂口)

粕屋町給食センター住民訴訟

福岡県糟屋郡粕屋町において,かつて一般廃棄物処分場だった土地に給食センターを新しく建て替える事業が計画され,粕屋町は事業者との間で,新給食センターの建設・整備・維持・運営に関する事業契約を締結しました。

給食センターの建設工事を始めるにあたってその建設予定地に埋められた廃棄物を処分する必要がありますが,工事着工前に事業者による地質調査が行われたところ,廃棄物を処分するために約530万円の費用がかかることが報告されました。しかし,建設工事に着工した後に廃棄物の処分にかかる費用が当初よりも増加し,結果として約6784万円かかることが報告されました。粕屋町は,事業者から廃棄物処分の増加費用を支払うよう請求され,事業者に対し約6784万円を支払いました。

そこで,粕屋町民は,2018年(平成30年)2月,当初の事業者による地質調査に不備・誤りがあったために廃棄物の処分費用が増加したのであり,廃棄物の処分にかかる増加費用は町が負担するべきものではなく事業者が負担するべきものであるとして,事業者に対して粕屋町が支払った約6784万円を粕屋町に返還請求することと,事業者への支払を命令した粕屋町長に対して約6784万円の損害賠償請求することを求める住民訴訟を提起し,福岡地方裁判所で裁判が係属しています。

また,廃棄物の処分費用が増加するとの報告を受けた際,粕屋町長は事業者に対して給食センターの建設工事を一時中断するよう指示しました。そのことを理由に,建設の工期が遅延し,粕屋町は、事業者から建設工事の中断によって生じた損害を賠償するよう請求され,事業者に対し約6838万円を支払いました。

そこで,粕屋町民は,2018年(平成30年)8月,工事の中断によって生じた損害は町が負担するべきものではなく事業者が負担するべきものであるとして,粕屋町が事業者に支払った約6838万円を粕屋町に返還請求することと,給食センターの引渡しが遅延したことを理由として事業者に対して損害賠償請求することを求める住民訴訟を追加で提起し,福岡地方裁判所で裁判が係属しています。

【2020年1月追記】

その後,口頭弁論期日が重ねられているところ,2019年(令和元年)11月,合計111名の粕屋町民が本住民訴訟への補助参加申立を行いました。

本住民訴訟提起時の原告数は約30名でしたが,裁判において,粕屋町が事業者に対して給食センターの建設に関する廃棄物処分費用及び工事の中断による損害費用を支払ったことの問題を重ねて追及してきたことで,粕屋町内でこの給食センター問題についての関心が高まり,この度の補助参加に至ったと言えます。

【2022年4月追記】

2018年2月の提訴以来、4年間に●回の審理が重ねられてきましたが、本年3月30日、福岡地方裁判所は、住民の訴えを退ける判決を言い渡しました。

今回の判決は、粕屋町側の主張を全面的に認める内容となっており、司法の行政に対するチェック機能が果たされた判決とは到底いえず、当然、住民の皆さんが納得できるはずもありません。

原告の住民は、増加分の費用を事業者でなく町が負担すべきと判断した判決を覆すべく、気持ちを新たに、福岡高等裁判所に控訴しました。

この裁判は、粕屋町住民の皆さんが当事者です。住民の血税を町が何に、どのように使ったのか、本当に住民のために使われたのか、皆さんには知る権利があります。裁判はまだまだ続きます。毎回裁判後には報告集会を行っていますので、ぜひとも裁判にご参加いただき、ご自身の目と耳でこの粕屋町給食センター問題を感じていただきたいと考えています。

【2023年7月追記】

2023年5月31日控訴審判決言渡し、現在、上告中。

原発労災梅田裁判

現在報道されている福島第一原発だけではなく、これまで全国の原発において、定期点検等のために、多くの下請け労働者が過酷な被ばく労働に従事してきました。福岡市在住の梅田隆亮さんは、昭和54年、配管工として島根原発と敦賀原発の定期検査業務に従事しましたが、そこでは安全教育などほとんど行われることなく、全国からかき集められた下請け労働者たちは、計器類を他の労働者に預け、放射性物質が飛び交う劣悪な労働条件のなかマスクすら着用することなく危険な被ばく労働に従事していました。

間もなく梅田さんは、原因不明の鼻出血や吐き気、めまい、全身倦怠感などを発症し、内部被ばくをしていることが確認されました。しかし、労災申請の準備を始めた梅田さんのもとには元請会社などからの脅迫や圧力が相次ぎ、梅田さんは労災申請を断念せざるを得ませんでした。その後も梅田さんは『ぶらぶら病』の諸症状に悩まされ続け、平成12年、ついに急性心筋梗塞を発症しました。意を決して労災申請に及んだ梅田さんに対し、国は、被ばくと急性心筋梗塞との因果関係を否定して救済を拒みました。

弁護団では、梅田さんの労災不支給決定の取り消しを求め裁判を提起すると共に、支援の会と協力し、全ての原発労働者の救済を目指す取り組みを行っています。

【2018年7月追記】

2018年7月7日、最高裁判所は、梅田さんに発症した急性心筋梗塞と放射線被ばくとの因果関係を否定した1審・2審の判断を追認し、梅田さんの上告を棄却しました。

私たち弁護団は、最高裁への上告理由の中で、原子力発電所の運転には大量の原発労働者が必要不可欠であり、その労働者を不可避的に放射線に被ばくさせ、いわば被ばく要員として非人間的な人海戦術に用いる原発労働は、個人の尊厳に最高の価値をおく我が国の憲法秩序と相容れないこと、そして我が国に50万人以上存在するとされるこのような原発被ばく労働者に対して、原発を推進してきた政府は放射線被ばくによる労働者の健康管理を行ってこなかったばかりか、明らかに放射線被ばくによる疾病と思われるケースに対しても労災給付を拒否して来た。のみならず、我が国の労災行政は、放射線量隠しと思われる手法で放射線被ばくによる労働者の救済申し立てを切り捨ててきた。これが労働者の権利を保障する国際的な法秩序、我が国の憲法秩序に照らしても、許されないことを明らかにしました。

また、梅田さんが昭和54年当時から訴えてきた計器類の預け等の事実を否定しつつ、事実認定上極めて重要な証人すら採用しなかった福岡高裁の証拠評価や訴訟指揮の違法性、このような違法な証拠評価によって導かれた8.6mSvの被ばく線量を前提に、当時梅田さんに発症した原因不明の鼻出血やめまい、全身倦怠感等の様々な症状のすべてを放射線被ばくと無関係のものと認定した結論ありきの証拠評価手法の違法性、その他原判決が抱える多くの欠陥や先例となるべき最高裁判決との矛盾を指摘しました。にもかかわらず、最高裁は、このような私たち弁護団の主張について実質的な判断を一切示すことなく、適法な上告理由にあたらない等と極めて形式的に上告を棄却しました。

梅田さんの裁判は、梅田さんと同じように過酷な被ばく労働に従事してきた元原発労働者や、長年にわたり梅田さんをはじめとする原発労働者の証言を記録してきたジャーナリスト、全国各地の良心的な医師、自然科学者、社会科学者らの全面的な支援を受けて、まさにすべての被ばく労働者の救済を目指したたたかいとして進められてきたものであり、すでに梅田さんの裁判を皮切りに、福島第一原発事故後に被ばく労働に従事し、健康を損なった多くの労働者たちが救済を求めて全国各地でたたかいを始めています。この全国に広がった被ばく労働者のたたかいは、この度の最高裁の不当な決定によって些かも揺るぐことなく拡大し、梅田裁判をめぐる一連の司法判断の誤りと不正義を、歴史的に証明してくれるものと確信しています。

私たちはこれからも全国の被ばく労働者や良識ある市民と連帯し、すべての被ばく労働者の救済を目指してたたかいを進める決意です。

吉野ヶ里メガソーラー発電所の移転を求める佐賀県住民訴訟

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に位置する吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られ、その一部は国営公営(吉野ヶ里歴史公園)として保存されています。吉野ヶ里遺跡を我が国有数の貴重な遺跡たらしめている特徴は、そこに弥生時代だけでなく旧石器・縄文時代から平安・鎌倉時代までの遺跡が連続して複合遺跡として残されていることにあり、例えば、国営公園内北部と公園外北西・北東部にまたがる広範な地域には律令時代の郡官衙跡が存在しています。そのため、このような吉野ヶ里丘陵地帯一帯が「吉野ヶ里遺跡群」として極めて重要な考古学的価値を有しています。

この吉野ヶ里遺跡群は、佐賀県によって「神崎工業団地」として造成することが計画されていた土地であり、1982年には文化財予備調査が開始され、地元の遺跡保存運動をよそ目に着々と着工準備が進められていましたが、1989年1月、吉野ヶ里遺跡と魏志倭人伝との関連が大きく報じられたことから保存運動は全国規模に拡大し、佐賀県も造成工事を凍結し、一部を国営公園、県営公園として保存せざるを得なくなりました。

しかし、2011年3月11日、東日本大震災に引き続き福島第一原発事故が発生したことを受けて、佐賀県は、工業団地跡地にメガソーラー発電所を誘致する計画を打ち出し、再生可能エネルギーブームに乗せて一気に造成工事を行い、2013年7月、吉野ヶ里遺跡群のほぼ中央に16ヘクタールものメガソーラー発電所が建設されました。

この造成工事によって、工業団地としての開発を前提に虫食い的な調査しか実施されていなかった広範な土地が造成され日本有数の遺跡が破壊され、また、佐賀県や神崎市、吉野ヶ里町が吉野ヶ里遺跡周辺の田園景観を保全するべく制定していた景観条例もむなしく、吉野ヶ里遺跡群の真ん中が無機質なソーラーパネルに覆い尽くされることになりました。

近時、メガソーラー発電所による景観の破壊が各地で問題となっており、すでに静岡県富士市、大分県由布市、長野県佐久市などでは自治体レベルでの規制に着手しています。破壊され失われた遺跡はもはや回復不可能であるが、吉野ヶ里丘陵に広がる豊かな歴史的景観、文化的景観を可及的に復元することはまだ可能です。

弁護団では、多くの佐賀県の市民の皆さんや全国の考古学を愛する市民、研究者とともに吉野ヶ里メガソーラー発電所の移転を求めて住民訴訟を行なっています。

【2017年7月追記】

2017年7月26日、最高裁判所は、住民側敗訴の判断をした1審、2審の判断を追認し、住民が申し立てた上告を却下しました。

この最高裁決定により、吉野ヶ里メガソーラー事業用地の造成工事において地中に存する埋蔵文化財が物理的に破壊されたことが一応推認されたとしても文化財保護法上の違法は認めないなどとした佐賀地方裁判所の判断や、文化財保護法94条、97条が定める諸手続きに違反があっても吉野ヶ里メガソーラー計画にかかる財務会計行為の違法性には影響しないなどとした福岡高等裁判所の判断が確定することになりました。

このような文化財の価値や文化財保護法の趣旨を著しく軽んじた一連の司法判断は、我が国の文化財保護法制が抱える重大な欠陥と、文化財の保存に向けた継続的な市民運動の重要性を再認識させるものであり、すでに吉野ヶ里遺跡群の保存に向けた市民運動は加速度的に進んでおり、平成28年6月に佐賀市内で開催された文化財保存全国協議会総会においては、吉野ヶ里遺跡群を中心とした北部九州の弥生遺跡群の世界遺産登録を目指すことが決議されました。

私たちは、このたびの司法判断によって示された課題を再認識し、より広範な市民、専門家などと連携して、文化財保護法制の抜本的な見直しと、我が国が世界に誇る吉野ヶ里遺跡群を後世に残す重厚な市民運動を進めていく決意を新たにするものです。

原発なくそう!九州玄海訴訟

福島原発事故をきっかけに、全国の原発廃炉を求める一歩として、佐賀地方裁判所に提起された玄海原発の廃止を求める訴訟です。福島原発事故という未曽有の被害を経験した日本で、原発と人類は共存できるのか、フクシマを2度と起こさないためにはどうするのかという、フクシマを真正面から捉え原発の本質的危険性を正面から見据えた訴訟が求められているという問題意識をもとに、玄海原発のすべての稼働停止、国策民営という特質から九電とともに国も被告として提起し、弁護団と1万人を超える原告とで一緒に訴訟を闘っています。

私たちは脱原発社会を実現するために、この裁判へ多くの方の参加を呼び掛けています。原発が過酷事故を起こせば誰でも被害者となりえますので、裁判にはどなたでも参加いただくことができます。詳細については、弁護団のホームページをご覧下さい。

全国B型肝炎訴訟

1. 全国B型肝炎訴訟とは
日本では、1948年以降、全ての国民・住民が法律(予防接種法等)によって、幼少期に集団予防接種を強制させられてきました。そして集団予防接種の際の注射器の連続使用によって、40数万人(国の推計)もの国民・住民がB型肝炎ウイルスに感染させられました。これら感染被害者はこれまで国からの何の救済も受けることなく、将来の発症の不安(キャリア)や、慢性肝炎・肝硬変・肝がんの病気で苦しんできました。これらの被害者が国の法的責任に基づく損害賠償等を求めた裁判が全国B型肝炎訴訟です。

2. 弁護団の取組み
2011年6月23日、弁護団と国との基本合意の締結およびこれを受けた特別措置法の成立により、各被害者が個別に国を提訴して和解をすることによって病態に応じた金額の給付金の支給を受けることができるようになりました。弁護団は、①被害者の全員救済に向けての個別和解手続の他、②基本合意を締結した立場に基づき、未提訴被害者への本件司法救済制度の周知・相談・提訴による、被害者の全員救済に向けての広範囲の活動③全てのウイルス性肝炎患者の恒久対策の活動④本件の真相解明等のための活動などに取り組んでいます。全国各地に弁護団が組織されていますので、提訴をお考えの方、ご相談されたい方は、全国弁護団のホームページより各地弁護団の連絡先をご確認のうえお問い合わせ下さい。

HPVワクチン薬害訴訟

薬害HPVワクチン訴訟は、子宮頸がんの原因ウイルスであるHPV(ヒトパピローマウイルス)感染予防の目的で開発されたワクチン(ガーダシル・サーバリックス)を接種し、副反応被害を受けた女性たちが国と製薬企業に対し慰謝料の支払いを求める集団訴訟です。2016年7月27日、第1次提訴をし、福岡のほか東京、大阪、名古屋の4地裁で裁判が係属しています。

副反応被害を受けた女性たちの多くは接種時に未成年で、多様な症状のため学業に支障を来したり、将来の選択の変更を余儀なくされるなどその被害は深刻です。原告団・弁護団は、副反応被害を受けた女性たちの日常を取り戻すため、国と製薬企業に対し原因究明、治療法の確立、医療体制の整備、再発防止等を訴えています。詳細については、弁護団のホームページをご覧下さい。

家族による「らい予防法」違憲国賠訴訟(ハンセン病家族訴訟)

日本には、1907年以来続いたハンセン病患者への強制隔離の歴史がありました。ようやく1996年3月ハンセン病患者への隔離政策を定めた「らい予防法」が廃止され、2001年熊本地裁で「らい予防法」が違憲であること、「らい予防法」の見直しを怠った国と国会の責任が認められました。国はこの判決を受け入れ、時の首相及び厚生労働大臣による謝罪、衆参両議院による謝罪決議を経て、ハンセン病元患者らへの補償制度などを定めるいわゆるハンセン病問題基本法が施行されるに至りました。

他方ハンセン病元患者の家族に対しては、補償は定められず、国も家族に対し直接謝罪するには至っていません。しかし元患者の家族は、国の強制隔離政策によって家族との離別を余儀なくされたり、差別を受けたり、周囲に家族の存在を明らかにできなかったりと、強制隔離政策は元患者の家族の人生に大きな被害を与えました。

こうした元患者の家族による被害を明らかにし、被害の回復を求めるため、2016年2月15日、3月29日、国を相手に熊本地裁に対し元患者の家族595名が損害賠償請求を提起しました。原告団・弁護団は、ハンセン病元患者、元患者家族に対する差別偏見の解消を含めたハンセン病問題の最終解決を目指し、この訴訟を戦っています。詳しくは弁護団のホームページをご確認下さい。

【2019年7月追記】

2019年6月28日、熊本地方裁判所は、ハンセン病隔離政策が病歴者本人のみならずその家族たちに対しても違法な人権侵害であったことを認める判決を言い渡しました。

裁判所は、らい予防法及びそれに基づく隔離政策が、病歴者の家族に対しても違法であったとして、厚生大臣及び国会議員の責任を認めたのみならず、らい予防法廃止後にも厚生及び厚生労働大臣、法務大臣、文部及び文部科学大臣に対し、家族に対する差別偏見を除去すべき義務に反した責任を明確に認めました。

そのうえで、家族たちが社会から差別を受ける地位に置かれ、また病歴者の隔離等によって家族関係の形成を阻害されたとして、憲法13条の保障する人格権侵害及び憲法24条の保障する夫婦婚姻生活の自由の侵害により共通する損害が発生したことを認めました。

原告団・弁護団は、国に対し、本判決を真摯に受け止め、直ちに判決の内容を履行するとともに、差別・偏見の解消、家族関係の回復に向けて、家族らと協議を開始するよう求めているところです。

「よみがえれ!有明」訴訟

2010年12月6日、福岡高等裁判所は、国営諫早干拓事業によって締め切られた潮受け堤防排水門の開門を命じる判決を言渡しました。これにより、止まらない大型公共事業の典型とされた諫早干拓事業は大きな転換期を迎えることとなりました。

しかし、諫早干拓事業は、有明海に未曾有の環境破壊をもたらしただけではなく、漁業不振による地域社会の崩壊や事業をめぐる地域住民間の軋轢など、有明海沿岸の地域社会に大きな爪痕を遺しました。

現在も進められている開門に向けた関係者協議は、諫早干拓事業によって失われた有明海の環境を再生させるだけではなく、漁業も農業も防災も両立させ有明海沿岸の地域社会を再生させるための新たな取り組みとなっています。

嘉麻市産業廃棄物最終処分場操業等差止仮処分・許可取消訴訟

福岡県嘉麻市熊が畑地区は、田や畑、緑も多く、生活用水に井戸水を使用する家庭なども残っている自然豊かな地域です。この自然豊かな熊が畑地区では、1990年頃から事業者が産業廃棄物最終処分場の操業を始め、現在も操業が続いています。

嘉麻市産業廃棄物最終処分場操業等差止仮処分・許可取消訴訟とは、事業者と更新許可及び拡張許可を出した福岡県を相手に、事業者が法律や指導指針などで要求されている展開検査(安定5品目以外の廃棄物が混入していないかを確認する作業のこと。)などを行っておらず、地域住民に健康被害が生じるおそれがあるとして操業の差止めや許可の取り消しを求めた裁判です。

差止仮処分については、2016年7月1日、住民らの申立を却下するとの決定がなされました。これについては、福岡高等裁判所に即時抗告を行いました。却下決定に屈することなく、周辺住民と差止めに向けた運動を継続し、闘っています。

直方駅舎取り壊し工事差止仮処分・公金支出差止住民訴訟

田川、飯塚など石炭産業で栄えた筑豊地域において、直方市は八幡製鉄所や若松などへの石炭輸送拠点として繁栄してきました。旧直方駅舎は、1910年に建築された木造駅舎ですが、その部材には1890年に竣工した初代博多駅の一部が移築された可能性も指摘されている稀少価値の高い鉄道文化遺産でした。

直方駅舎取り壊し差止工事差止仮処分・公金支出差止住民訴訟とは、100年以上の歴史があり、直方市のシンボルでもあった旧直方駅舎を保存・活用しようということで提起した裁判です。この裁判では、旧直方駅舎が産炭地の重要拠点として果たしてきた歴史的・文化的価値やその建築様式の芸術的価値を訴えてきました。

2013年11月26日、福岡地方裁判所は、私たちが訴えてきた文化財保護法違反、都市計画法違反、地方自治法・地方財政法違反の主張をいずれも退ける判断を下しました。しかしながら、その判決の中で旧直方駅舎の価値について裁判所は、「旧駅舎は相応の歴史的価値や一定の芸術性が認められていたと評価できるのであり、有形文化財と評価される余地はあった」と述べています。このように旧直方駅舎の価値を認めた点については一定の評価ができると言えます。

裁判では私たちの主張は認められませんでしたが、現在、一部文化的価値のある物として保存された旧直方駅舎の部材を用いて、旧直方駅舎を一部復元しようという動きが進んでいます。

中国人強制連行・強制労働事件福岡訴訟

1942年の閣議決定により中国大陸から約4万人の中国人が強制連行され、第2次世界大戦中、炭鉱・港湾など日本企業が経営する全国135の事業所で奴隷労働を強いられました。中国人強制連行・強制労働事件とは、生存している被害者たちが日本国と加害企業に対し謝罪と損害賠償を請求している事件です。

福岡訴訟では、田川と三池で強制労働させられた15名が、2000年5月10日、国と三井鉱山を相手に福岡地方裁判所へ提訴し、2002年4月26日、被告企業の損害賠償責任を認める画期的な勝訴判決が言渡されました。

しかしながら、福岡高等裁判所において、被告国の責任追及を主たる課題としてたたかわれた控訴審は、2004年5月24日、一審原告の請求棄却の判決が言渡されました。

なお、福岡地裁勝訴判決が中国全土に報道され、勇気づけられた被害者が各地で名乗りをあげ、新たな原告39名により第2陣福岡訴訟が提訴されました(1次提訴19名、2次提訴20名)。第2陣訴訟は、被告企業として三菱マテリアル(当時三菱鉱業)が追加されており、企業に対する責任追及としても幅を広げるものとなりました。

日本における一連の訴訟は、日中共同声明を理由に原告らの請求を棄却する2007年4月27日の最高裁判決によって終止符が打たれましたが、最高裁は、強制連行の歴史を正面から認め、「本件被害者らが被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(西松建設)は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受け、更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。」と付言しました。

このような付言を受けて、2009年10月23日、西松建設と被害者との間で和解が成立し、2016年6月1日には三菱マテリアルとの間でも歴史的和解が成立しましたが、強制連行を主導した国は依然として責任を認めていません。以下、三菱マテリアルの謝罪文をご紹介します。

第二次世界大戦中、日本国政府の閣議決定「華人労務者内地移入に関する件」に基づき、約39,000人の中国人労働者が日本に強制連行された。弊社の前身である三菱鉱業株式会社及びその下請け会社(三菱鉱業株式会社子会社の下請け会社を含む)は、その一部である3,765名の中国人労働者をその事業所に受け入れ、劣悪な条件下で労働を強いた。また、この間、722人という多くの中国人労働者が亡くなられた。本件については、今日に至るまで終局的な解決がなされていない。

『過ちて改めざる、是を過ちという。』 弊社は、このように中国人労働者の皆様の人権が侵害された歴史的事実を率直かつ誠実に認め、痛切なる反省の意を表する。また、中国人労働者の皆様が祖国や家族と遠く離れた異国の地において重大なる苦痛及び損害を被ったことにつき、弊社は当時の使用者としての歴史的責任を認め、中国人労働者及びその遺族の皆様に対し深甚なる謝罪の意を表する。併せて、お亡くなりになった中国人労働者の皆様に対し、深甚なる哀悼の意を表する。

『過去のことを忘れずに、将来の戒めとする。』 弊社は、上記の歴史的事実及び歴史的責任を認め、且つ今後の日中両国の友好的発展への貢献の観点から、本件の終局的・包括的解決のため設立される中国人労働者及びその遺族のための基金に金員を拠出する。また、二度と過去の過ちを繰り返さないために、記念碑の建立に協力し、この事実を次の世代に伝えていくことを約束する。

一覧に戻る